2011年11月13日日曜日

ソーシャルメディアが世界の戦争をなくす日

 
placeboedge.tumblr.comから
ソーシャルメディアは私達を含め、世界の人々に繋がりという価値創造を提供したと思います。

それは、たとえ会ったことが無い人であっても、彼らがどのように物事を考え、何に苦しんでいるのかを知り、共感し、時には一緒に問題解決をしていくことを可能にしたと思います。

twitterやfacebook等は正にその一例です。

確かに、今は言語の壁もありまだまだ多くの人と繋がることが難しいのですが、近い将来、より的確な翻訳・通訳が可能になれば、そのような協働も増えていくでしょうし、いわゆるソーシャルグッド的な価値の創造も益々増えていくと思います。

ただ一つだけ、僕の中で疑問なのは、そのような動きはが人間の究極的な希求である世界の戦争を無くすことに貢献できるのかということです。

これに対する僕の答えはNoです。

僕は人々が繋がり、”善い人”が増えるから問題が無くなるとは思いません。

何故ならば、
1.人間の根本的な部分と認識されている自己利益(自己保存や生活の向上)
2.人々がそれぞれ本当に何を考えているのかわからないという疑念
3.国家という形で主権者・エージェンシーが生まれても、世界全体では困難
という状態は変わらず残り続ける(少なくとも現状に置いては)と感じるからです。
これが正しいかどうかではなく、社会の構成要素である ”人” がそういう風なものであると少なくとも大部分の人が認識していることが重要なのです。

例えばもしある人が
「人間はまず生きることのみを希求し、そして精神的にも肉体的にもより”他の人”より豊かな暮らしがしたいが、それは稀少性なものの奪い合いになるから、その欲のために他の人を陥れる人が”いるかも”しれない」と思うのであれば、実際その仮定が全て正しいかどうかは関係なく、そういう人がいようがいまいが、争いは起きるからです。

他の人が何を考えているのか何もわからない状況から、自分自身で敵を創りだし、突発的な事件がそれを増大させ争いに導くことは明らかです。

通常国家レベルにおいては、主権者によって守られた理に適った(正義)、それゆえに合理的である法によって抑えられていますが、国家間においては、構成要素を疑心暗鬼にさせる要因(言語・習慣・国民間感情)が多いため、主権者が選出されづらく、また囚人のジレンマではないですが、保証が無いような正義は誰のための正義にもならないのです。

国家を人為的人格とみるのであれば、その性格は国家間にも影響します。

しかし、今後
1.人間の根本的な部分と認識されている自己利益(自己保存や生活の向上)
2.人々がそれぞれ本当に何を考えているのかわからないという疑念
3.国家という形で主権者・エージェンシーが生まれても、世界全体では困難
のいずれかはソーシャルメディアの価値創造によって変えることが出来ると思うので、そういう意味で世界の戦争を無くすことも可能だと感じています。

具体的には
1.人間の本能と認識されている自己保存を可能にするようなもの
2.人々の深部の思考パターンまで読み解くようなもの
3.ソーシャルメディア自体がある種の主権者になること
4.人々の中で認識されている ”人” の再設定(自己保存では無い何か)
の4パターンが僕の頭の中で挙げられます。

近未来的には、
人口8億人を超えるFacebookが、ソーシャルメディア民に彼らの理に適った、それゆえに合理的な法を守る主権者の役割(ペンと暴力機関をどのように創るかは興味深いが)をとる可能性はあると思います。

また個人的には、
変わりゆく人々の感覚の中で認識されている”人” の再設定(自己保存を超えた形)にその可能性を感じます。

どちらにしろここまで来れば、確かに戦争は無くなるかもしれないなと思います。

※実は5.人工知能による根本的な構造変化もあるんですが
The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biologyとか人類がコンピューターに支配される日・・・技術特異点かな)そういうことを考えるとある意味ソーシャルメディアが世界の戦争を無くす日には人は人では無くなっているのかもしれないですね。

2011年9月7日水曜日

2ヶ月弱Weibo(微博)を使って感じたこと-大都市農民工に会うために-


中国の大都市で農民工※1に会いたいという動機で2ヶ月弱Weibo(微博)※2を使い続けた。
(なぜ会いたいかについてはこの話題がホットだと感じたから。詳しくは大都市農民工のソーシャルメディア使用による権利主張と行政府の対応
ちなみにWeibo中国で使用できないTwitterの類似サービスとして知られている。(実際FacebookとTwitterの間くらいかな)



しかし、誰とも会うことが出来なかった。理由を2点にまとめると

1. Weiboは多くの農民工にとって必要がない
2. プロフィールから検索で探し出すことが難しい
3. フォローしてくれる率が低い(これは僕の問題)

そもそも多くの農民工はWeiboを使う意味を感じていない。仲の良い友達との情報交換はQQ(中国版MSNみたいなもの)でいいし、それ以外に人に公開するような情報や信条を持っている農民工は少ない。(中国語で140文字もつぶやけるほどの高文化を持っていないという負い目もある)だったら、わざわざ新しい3G携帯を買ったり、ネットカフェで使う必要もない。※3

また、この少ない農民工を探すために ”農民工 ○○都市”と打ってプロフィール検索をしても、自分が会いたい農民工(肉体労働者)に探すのが難しい。農村から都市に出てきた人は都市で大学を卒業して働いている人起業した人も農民工になるから。

農民工 上海で検索しても大卒ばかり出てくる

そして、どうにか探し出してもフォローしてくれる率が極端に低い。これは僕のプロフィール、発言にも問題があると思うが、微博はtwitterとfacebookの中間くらいの仕様なので、農民工の嗜好にだけ合うプロフィール、発言にするのも難しい。


僕のページ


ということで未だに会えていない。一応これからも継続しようと思うが、中々難しそうだなぁ。(どなかた良いアプローチのアイディアありましたら教えていただきたいです。)


※1農村からの出稼労働者。僕の場合、特に3kの肉体労働者を指す意味として使っています。
※2新浪微博のことです。
※3Weiboを使うための3G携帯を多くの農民工が持っていないのは事実だが、彼らにとって3G携帯の値段が極端に高いものではないと思う。3G携帯は安いものなら500元前後で買うことが出来、彼らの月給は、日給80元~150元だとしたら、20日労働で1600元~3000元だから給料の3分の1以下。また通信会社によるが、月額100元程度の契約でSNS等に必要なパケット量と無料通話は付随してくる。もちろん安い買い物でもないので、単純にweiboも含め、3G携帯で使用できるアプリ(Weiboも含めRenRenやゲーム等)は面子以上のベネフィットを与えていないということだろう。

2011年9月6日火曜日

能力交換で活きていくには-LocalをShareする-

2011年8月青海省玉樹からバスで西寧に戻る際に撮影

多くの人にとって現地の人々と交流することは旅の醍醐味の一つだと思うが、僕はそれよりも、特定のトピックについての討論・知識の交換・ある問題の解決など、お互いの興味・能力を駆使して価値が産み出せたときに、旅の醍醐味を感じるタイプである。

そこで、今回は、「チベット人の家でヤギの世話し、チベット語を少し学ぶこと」を目標にしていた。チベット人の中にも、日本語を勉強したかったり、色々と人手が欲しかったりする人がいるだろうから、そういう人たちのところに行くことができたらお互いに価値を産み出せると思った。

ただし、残念ながらその目標は達成できなかった。

わかっていたことだが、個人で行く場合チベット語が話せないとどうにもならないし、そもそも自分のことを必要としてくれる人とうまく出会えるかはかなり偶然性に左右される。また旅行会社等のサービスは確かに存在するが、ワザワザ仲介料を払って官製の場所にいっても仕方ない。

■Localshareできるサービス(ロカシェア)

今回のチベットの例に限らず、世界でも様々な人々がそれぞれの場所で興味・能力に対するニーズを持っていると思う。だったら、そのニーズを可視化することによって※Localshareできるサービス(ロカシェア)があってもいいんじゃないかと思う。

Local(場面)とは、空間(一定期間の協働可能)、人の集積(興味+能力)、偶然性(外部要因)が重なり、新しい価値を生みだす、つまり、新たなアイディアを創出し、プロジェクトを促進するものである。(場面=空間+人の集積+偶然性=アイディア+プロジェクトの創造)

ロカシェアはGPSを通じて、ある特定の条件(興味・能力・滞在期間)で人の集積が必要な場所を見つけ出し、Local創りを促進する。

ユーザーは、チベット人と羊の世話がしたかったら、「チベット人」「羊」と、またラオスで農業がしたいと思ったら、「ビエンチャン」「農業」と検索し、条件を照らし合わせて滞在することが出来、滞在期間中に相手の問題を解決する。また数ヶ月滞在した後にちょっと民主主義の今後が気になり、エジプトで政治討論がしたいと思ったら「エジプト」「政治討論」で検索し、滞在することが出来る。

問題の規模、形、解決の基準は当事者が決めることになるが、小さくても大きくてもそれぞれがLocalを創り出せれば、それは関わった人々にとってお金で表せない価値となる。彼らにとっての価値を創っていくのがロカシェアの価値である。

今でも高度4000mの僻地や砂漠でGPSが使えるが、今後さらに技術革新が進めば、どこでも携帯1台で行きたい場所のニーズを可視化出来るようになると思う。辺境にシェアハウス創ると同時にこういうサービスも創れたら相乗効果があって面白いなと妄想は尽きない。

2011年9月2日金曜日

中国で1ヶ月半Jiepang(街旁)を使って感じたこと

中国の旅行した先々で面白い人に会いたいという動機でJiepang(街旁)を使い始めた。
ちなみにJiepangは中国で使用できないFoursuareの類似サービス。


僕はこのJiepangを使って位置情報でその場にいる中国の面白い人に出会えたら嬉しいなと思い、中国の内陸部を旅行している間、使い続けてきた。

僕のページ
結論:全く出会えなかった。いくつか要因はあると思うが3点にまとめると

1.      そもそもこれはFoursuareと同じで旅行や美味しい物の写真を共有するリア充用のサービス

2.      一応ユーザー数130万人を越えているとされているが、内陸部ではアクティブで使っている人は
い(そもそも携帯買えても3Gモバイルネットワークの月額料金払えないでしょ)

3.      中国では、面白い人に会いに行くなどの動きがまだ殆ど出てきていない

わかっていたことだが、これは「美しい記憶」を共有するサービスであり、近くにいる興味分野の人を
探すために出来ているわけではない。また内陸部ではアクティブユーザーが少なく、また人は疑えか
ら始まる文化がまだまだ残っているので、難しい。


一応、付近のJiepang友を2000mまで調べる機能はあり沿岸部ではユーザー数や文化の関係でいけ
るかもしれないので上海では、継続的に使ってみよう。
昆明のホステル2000m範囲に友達いないとのこと
ただ、結局趣旨が違うサービスではベネフィットよりコストの方が多いな。あー、何か興味分野で出
会えるサービス中国で早く出来ないかな。

2011年9月1日木曜日

中国、Facebookにとって一番必要な国



Illustration By Alex Gross
海外で外国人と知り合いになるとき、とりあえずFacebookで友だち申請、というような体験をしたことはないだろうか。実はここ中国でもよくFacebookアカウント名を聞かれる。確かに政府の規制は入っているのだが、VPNを使用しFacebookを使用する人は、確実に増えているように感じる。(現在は主に外国人であり、中国人使用者は海外在住歴のある若者が多い1


現状中国国内におけるFacebookユーザーは数十万人程度、主に沿岸部に集中していると言われているが、今後Wi-Fi、モバイル3Gネットワークの普及・高速化とVPNの更なる安定に伴い、中国におけるFacebookを使用したインタラクションは更に進むだろう。

Facebookがその規模感から「国家」と比喩されて久しいが、僕は中国においてこのインタラクションが一定数に達する時、このアメリカの一企業が彼自身好むかは別として、人々の「facebook(をする)」自由を守るため、国家化せざるを得なくなるだろうと思う。2

彼は、自身の価値でもあるユーザーの「facebook(をする)」自由を守るために、自国政府でさえ戦うことが出来ない中国と対峙しなければならないが、そのことが国家に必要な共通の価値観を醸成するだろうから。

中国がFacebookを国家に

Facebookは現在、人々にFacebookという名の自由な活動の場を提供している。人々はクリックひとつでこの中にいる知り合いや興味を共にする人との交流や、サービスを提供したり受け取ったりすることができる。このFacebookは、別の場(SNS等)へ舗装された道路も張り巡らせており、人々はFacebookを拠点として自由にその道を行き来きしている。

このようなインタラクションは、現在においてもネットとリアル社会の境界を徐々に溶解させているのだが、今後のモバイルの進化、仮想通貨(Facebook credits)の使用、新しい技術(顔特定や、タッチング、位置情報)は、Facebookを実生活で当たり前のものへと導くだろう。

近い将来、人々はまるで息を吸うかのように「facebook(をする)」かもしれない。またそのような中で、独自の価値観を醸成していくだろう。

ただし、それは、彼自身の価値がユーザーの「facebook(をする)」自由の保障に規定されることを意味する。

この意味において中国はFacebookを国家にするかもしれない。何故ならば、

1. 中国国内でインタラクションが加速する中で、ユーザーの自由な発言や行動に対する規制や不当な処罰があったら、他のユーザーがFacebookに中立以上の動きをすることを強いるだろうし、それが彼自身の価値であるとFacebookも自覚している。3

2. アメリカでさえ戦うことが出来ない国とユーザーの自由をかけて対峙することは、(彼が意図しようが、或いはFacebook民に煽られようが)人々の共通の価値観を更に醸成させ、彼がその価値観を彼らのために守っているかのように錯覚させる。4

3. 現状、彼は現実の暴力装置を持たないが、人々の共通価値認識から来る支持を獲得することが出来る。それは、時に暴力装置以上の力を発揮する。

ザッカーバーグが何を考えているかは誰にもわからないが、もしFacebookが国家化(価値観の共有)を求めているのならば、彼にとって一番必要なのは中国だろう。

※1中国関係の外国人はFacebookより人人网やQQを使う人も多いが、それ以外の海外と繋がりたい人のFacebookニーズは強いだろう。
※2.この意味においてFacebookを国家化させるのは何も中国国内の「中国人」というわけではない。
※3. 自由を守らなければ、彼はインタラクションという形の税金を失うだろう。2008年中国でFacebookがシャットダウンされた時点では、ここまでインタラクションは進んでいなかったが、中東におけるFacebook革命は、彼のこのような状態を表しているように思える。
※4.彼がアメリカの企業であることを考えると興味深い。


写真:What Social Media says about Chinese Cultureから引用
<http://rw-3.com/tag/facebook-in-china/

2011年8月6日土曜日

可視化社会で、サンドバックにならないためには


最近、出現しつつある可視化社会の中で、コツコツ活きていくことって難しいなと思う。色んな人の行動・思考・情報やサービスが視えるようになってきて、同時に自分自身が視えなくなってきてるから。だからこそ重要でもあるんだけどさ。

特にこの数ヵ月、次から次へと押し寄せる情報の波に自分の信念がたえず不安定化しているような気がする。ボクサーに殴られているサンドバックのような状態。

実際に知人・友人がいろんなことを実現しつつあるのを観て、もちろん嬉しいんだけど、ちょっと焦りも感じる。そしてそのたび心の砂がゆらゆらと揺れ始める。

僕の場合、東京でこの状態が特に顕著になる。外から支えてくれるものを認識しづらかったり、同質性の強要を感じるからかな。

この見えない足音には、たまに嫌気がさすのだが、対応せざるを得ない。

「発展」という美酒は、好みに関わらず、人を演技の舞台へ押し上げる。その緊張と快感の輪廻転生を止めることなど不可能に近い。滴の不足が争いを導くという無意識の刷り込みは更なる潤いを希求する。

今後、このような可視化社会の「発展」の中で、独自の信念とそれへの支持を持たない人は活きていくことが難しくなるだろう。(僕は、人生にリミットをあまり感じてないので若干楽だが)両方を持つ人の影響から逃れるすべが無く、常にフックをくらったような状態になってしまうから。

ではどちらを強化していくかは、ニワトリとたまごの議論になってしまうので、なんとも言えないが、
どちらが強化しやすいかは、独自の信念だと思う。何らかの支持を得ようと考えても、何からはじめていいかわからず、結局迷子になってしまうことが多い。

この独自の信念は、自身の知識(情報・経験・環境・習慣・能力等)から出された決断(最良だという認識の有無に関わらず)を毎日コツコツ実行し、知識がアップデートされることにより強化される。

その「巡礼」ともいうべき巡りゆく行為が、自分自身を信じるにたるものと認識させる。それはまた、無数の支持という形でおもてに現れるだろうし、それがまた新たに信念を強化する。

逆説的ではあるが、加速度的な時代だからこそ一層の蓄積が要求される。この意味で自分が信じたことをコツコツやることが一番の近道となるだろう。


引用元:自分の文章。ただ今の「自分」には書けない文章。

2011年8月2日火曜日

世界の辺境にシェアハウスを創る

先月中国内モンゴル自治区、フフホトにいたんだけど、つまらなかったなぁ。(笑)

会いたい人に会えないことは仕方ないにしても、大都市のせわしなさからか、出会いの偶然性が全く無く、そこの生活を感じることが難しく、全くアイディアが生まれなかったから。
こういう大きい都市だとお互いのニーズが一致しづらく、いい出会いに(偶然)結び付けられない。これは自分でその土地の空気を吸い、感じることによって何かに気づく人にとって非常に辛いと思う。

よく考えると、だから辺境(田舎や国境地帯)が好きなのかもしれない。
時間の流れが緩やかな辺境に行くと、誰でも声を掛けてくれるし、色々なことが聞けておもしろい。場合によってはその人達の家に泊まることも出来るし、その発展途上といわれている生活感を肌で感じることが出来、それによって新しいアイディアも生まれてくる。この前までいたゴビ砂漠を超えた内モンゴル-モンゴル国境沿いの町アージーでは、正にそんな感覚であった。

ただ、そこにはこの新しいアイディアを実行していく集団の集積が欠けているから、これをプロジェクトにつなげていくことは難しいんだけど。

辺境にシェアハウスを創る。

この数日考えているのだが、だったら辺境にシェアハウスを創るのも一案かなぁと思う。
それは、アイディア・プロジェクトをうみだす「場面」を補完してくれると思うから。
この意味での場面は、空間(一定期間の協働可能)、人の集積(興味+能力)、偶然性(外部要因)が重なり、新しい価値を生みだす、つまり、新たなアイディアを創出し、プロジェクトを促進するもののこと。(場面=空間+人の集積+偶然性=アイディア+プロジェクトの創造)

辺境はそれだけで人の興味を不可避的に促すと思うけど(居住者・来訪者双方に稀少性があるから)そこにはそのような人が一定期間・程度集積することを促し、協働するような空間が欠けている。これが無いと、結局アイディアはアイディアで終わってしまう。

だから、ここにシェアハウスを創り、それをウェブで可視化することによって、この稀少な空間(そしてそのシェアハウスに住む稀少な人々のもとに)に様々な能力を持った人が集積することを可能にし、新しい価値を創れれればと思う。(ある程度コンセプト化してもいいと思うex. 環境ハウス、文化人類学ハウス、アジアデザインハウスetc..

個人的にはここに住む and 来ることは双方にメリットがあるんじゃないかと感じる。
・稀少性(興味の一致する多くの人と会うことが可能)
・半自給自足(農業、宿代or宿代の代わりに能力提供、能力を地域に提供)
・能力向上(協働プロジェクトや能力交換、長期間の情報集中と実践)
があるから。

たぶんすでに始めている人もいると思うのだが、まだ可視化出来ていない。
今後、こういう風な辺境シェアハウスがどんどん出来て、大都市のシェアハウスとともに情報を可視化したサービスが出てきたらうれしいなと思う。そしたら、いくらでも色んなところに行けるし、ようやく、自分自身をベーシックインカム化することが出来ると思うから。

(もし大学院行かなかったら、来年の今頃ラオスでこういうシェアハウス創ろうと思うので興味がある方是非!)

2011年7月23日土曜日

想像の共同体から価値観の共同体へ

ここ数年疑問がある。「私は日本人なのか」と。

海外ではじめて会った人に自己紹介をする際によく最初に「私は日本人です」と話す。しかし、すぐ頭にクエスチョンマークが浮かぶ。「ちょっと待てよ、何で俺、自分のことを日本人って説明しているんだ」と。仮に日本人たりえる人が日本語を話し、日本の価値観を共有し日本を発展させたいと願う人であれば、私は日本人ではないかもしれない。英語や中国語を話す機会の方が最近は多いし、海外生活も長い。日本の価値観という曖昧なものよりは、同じ情報・空間を共有した同年代の世界の若者とのほうがよっぽど価値観を共有している。

だが、私はまだ「日本人です」と言う。それは何故か、たぶん日本人だということにまだ価値があるからだと思う。何故なら日本人というだけで、相手はいい印象を抱くし、興味をいだいてくれる。また経済活動(ビジネス等)や安全保障(パスポートや外国での安全)の面からも日本人には価値がある。

想像の共同体から価値観の共同体へ

ただ私は、国民国家という想像の共同体から価値観の共同体へと移行していく中でこの日本人です」という価値は薄れていくし、もはや言う必要もなくなるだろうと思う。それよりも自分自身の価値観の方がよっぽど重要な価値を持つだろう。

国民国家形成における主要因が何かについては、まだ解明できない点があると思うが、その形成過程或いは形成後に、経済発展・安全保障を目的とし、国家が手段として国民的価値観を創りあげたことについては否定出来ないだろう。私が国民国家を想像の共同体と呼ぶのは正にこの意味においてである。

確かにこの共同体は私たちを日本人たらしめ、また多くの利益を与えてくれた。共通の言語を話し、高水準の教育を受け、同じような信念を持つことは規模の経済において重要であり、また安全保障の面でも重要であった。ただこの想像の共同体が今後続いていくとはどうも思えない。

何故なら、現在この価値観というものそれ自体が主体性を持ち、強力な目的(手段)になるような共同体の再形成がゆっくり、しかし着実に進んでいるように思われるからだ。

もし価値観に焦点を置くならば、自国の異なった年代、職業或いは、場所に住む人たちとよりも、世界(自国も含)の同じような年代・考えを持った人に共感を抱くことが多いだろう。特に、FacebookSkypeなどネットは、考えの共有を促しているし、また今後はそこに主眼をおいた興味分野を検索するサービスが伸び、協働プロジェクト等の機会も急速に増えるだろう。

この加速度的な進展は一方で、ある共通語(英語or中国語or・・・)を駆使し、価値を共有する緩やかなグループの形成を促し、他方で、共通の価値観を創り上げてきた国民国家的な概念を剥がすことになるだろう。自国の価値観が違う人と交わる機会は益々少なり、経済的には自国に依存しなくなり、またバーチャル・リアルを問わず、様々な場所に移動することも可能となる世界では、。もはや自分が○○人だということ自体に価値はなくなり、どのような考えを持って、何をしてきた・したいのかのほうがはるかに重要になるのだから。

この状態が更に進むと、緩やかな共通ルール・価値観を持ち、衣食住を確保できる価値観の共同体が形成される。

新しいシステムは人間を必要とするのか

もちろん何かが形成されるときには問題は生じる。この共同体では、特に内外の治安が問題となるだろう。この緩やかな共同体でどのように治安を維持するのか、価値観の共同体間で、今まで国民国家間で起こってきた対立をどのように予防するのかなどである。

「共同体内の治安」に関しては、今後、バーチャルとリアルの相互浸透が更に進み、監視社会が強化されることにより、ある程度解決されるだろう。例えば、何か事件(バーチャルとリアルで)が起きたら、自動的にネット上にすぐ場所や情報がのり、追跡するサービスなどは今後拡充されるだろうし。

共同体間の対立」は、対策として、技術革新により可能になったバーチャル・リアルでの人々の流動性を一層促し、共同体内外の感覚を薄れさせるシステムを確立することにより、和らげられると思う。人々がそれぞれ、常に変わる価値観に対応し、共同体間を流動的に移動し、その時々に人々の自由と義務(コストや法の順守)も移動する。そうすることにより、所属は一時なものとなり、固定化した価値観の中の対立は行われにくくなる。

技術革新と流動化を促すような統治システムというのは、キーワードのような気がする。

しかし、そもそも統治システムというもの自体安定を望む装置であり、このような不安定と思われている状況を促すことが出来るのか、これ以外にあると思われる統治のための重要な要因をどのように法律で確立し、人々の自由を確保するのか、更に重要なことにこの複雑化した社会を誰が統治するのかは、全く見えてこない。

もしかしたら、従来の統治システムという概念を超えた新たな概念が現れ、人ではない何かがそれを成すかもしれない。(ここに落ち着いてしまうところに私の脳みその限界があるのだが、この点については今後追求していきたいと思う。)

この恐ろしくも面白い時代が足音を立てて忍び寄ってくる。

さて、私たちは何人たりえるのか。


2011年7月20日水曜日

大都市農民工のソーシャルメディア使用による権利主張と行政府の対応

今回、中国訪問目的の一つは、「大都市農民工のソーシャルメディア使用による権利主張と行政府の対応」という大学院研究テーマを深化すること。

よくマニアックだなぁ(笑)っと言われるのだが、個人的には、中国だけでなく、世界的にみても新しい政治-社会システムを考える上で面白いテーマだと思う。世界でも有数の情報統制力、統治能力を持つ中国が、農民工(出稼ぎ労働者)のソーシャルメディア使用による情報交換・発信に柔軟と強行をどのように織り交ぜ対応し、体制を維持していくか(或いは、崩壊への序章へ導くか)は、社会統治方法について、世界に対して何か示唆を与えてくれるだろうから。

特に、25000万人いると言われ、自己権利のためにソーシャルメディアを駆使しつつある大都市の農民工が、今後3Gモバイル(現在13000円程度)を持ち、様々な場所で使い始めたときの、中央の対応及び中央-地方-社会集団の関係性がどのように変化するのかは興味深い。

中国の不満層は大都市の農民工?

近年、ソーシャルメディアを使い、社会システムを変えようという動きは加速している。
エジプトのFacebook革命からの一連のアラブ諸国での動きはしかり、先日はマレーシアで、政府に対する抗議デモが起こった。ソーシャルメディアはこれらの出来事に対して主要な役割を担った。統制されないメディアで人々に多くの情報を共有し、行動を促したのだから。(政府の武器の破壊)

ただ見逃してはいけないこととして、結局重要なのは、相当程度存在する利益を侵害されていると感じる人のみが実際に行動するということである。いくら、ネット上で不満を上げていても、実際に行動をする人は利害がある人だけである。

中国で一番利益を侵害されていると感じている人はだれであろう。私は特に大都市にいる農民工だと考える。彼らは、大都市に出てきて、はじめて給料の格差を現実として認識する。また企業によっては福利厚生が整備されていることも少なく、そもそも正式な契約を結ぶことも多くない。病気になったら、突然解雇されることもある。また教育や医療が優遇される都市戸籍に変えたくても基本的には変えられず、(1人変えるごとに100万円ほど費用がかかると言われているので、計250兆の費用)これに加えて、差別も存在し、不満がたまる。

もちろん、他の層の人々も共産党政権に不満はあると思う。ただ、なにか行動を起こそうというほどではないと思う。例えば、中流階級層以上の人は自分たちの経済活動のためにも、政治の安定を求めるだろうし、むしろ政権がひっくり返されて、低所得者に利権を取られるほうが怖いだろう。農民も不満はあるが、格差を実際に「認識」する機会は少ない。不満を持っているという点では、蟻族(大卒ニート)の問題も深刻だが、国民的な同情は受けにくいだろう。就職先が無いわけではないのだから。

ソーシャルメディアと3Gモバイル

この不満を持った農民工にとって現在重要なツールになりつつあるのがソーシャルメディアである。突発的な事件(差別や労働条件から来る不満、明らかな過失)が起こったら、モバイルを使って、情報を瞬時に広げ、時には、知識人・NGO等と連携しながら、素早く上級政府に訴えることができるからである。中国では世論を味方に付け、上級政府に訴えることが権利を勝ち取る唯一の方法なのだから。

このような状況は増えつつあるのだが、今後Gモバイルユーザーが農民工の中でも加速度的に増えたらどうなるのだろうか。

ネット上で更に結社のようなものが進むかもしれないし、更なる訴えが上がってくるかもしれない。(集合行為論的には集合財の獲得は難しそうようにも思えるが)

それに対し、中央はどのように対応していくのだろうか。非常に興味深い。

2011年7月15日金曜日

今月19日から3ヶ月ほど中国に行きます。

 
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行く予定の場所:内蒙古、宁夏、甘肃、青海、チベット、四川、贵州、广西、云南、广州、香港、上海、北京

今回の目的は以下の3点です。
・思想整理
・研究計画
・仕事・プロジェクト

思想整理
 (モバイル時代の)国家-社会関係の変化に興味があるので、この分野において前例のない社会実験が行われている中国で、思想に耽りつつ整理していきたいと思っています。twitterとかblogで情報発信できたらと思っています。

研究計画大都市民工mobileSNS使用による権利主張と行政府対応)
 今年の12月中国の大学院(北京/上海/香港)にアプライする予定なので、教授訪問や研究計画への理解度を深めてこようと思います。集合行為論的、コーポラティズム的観点(概念定義が曖昧ですが)orその他の観点から捉えるのかはまだ決めきれず、落とし込めるかもわからないのですが、友達や中国版twitterとfoursquareで知り合った民工の部屋に泊まりながら、調査をしてこようと思います。


プロジェクト・仕事
 今後数年で農民工の3Gモバイルユーザーが爆発的に増えると予想しており、彼らへのサービスの幅が広がるので何かプロジェクトが出来ると考えています。(特にインターンや民工子女を含む教育関連で)もちろん外国人でなくても公的関連の領域に参入するのは難しいのですが、その可能性について少しみてこようと思っています。関連企業の方にも会えたらなと思います。

色々な方と現地でお会いできたら嬉しいです!何か面白い情報があったら教えて欲しいです!


2011年7月14日木曜日

シェアハウスの可視化サービス

ストロングリレーションとサービスでも書いたんだけど、(興味分野の一致と濃厚な時間をある一定の期間共有することによって出来る)ストロングリレーションを様々な人と創っていくことは、今後生きて行く中で重要だと思う。

加えて、人々の生活スタイルは徐々にSocimobiler化(≒デジタルノマド化)すると思っている&自分自身こういう生活が好きなので、これが特に泊まる場所で創られて、しかも価値を生み出せるようなサービスがあればいいなーとこの数年間ずっと考えていた。

確かに今のサービス(CouchsurfingTwitter)では、知り合い以外でその場で興味分野の一致した人を探して泊まり、またお互いのスキルを活かして、新たな価値を生み出したりすることは難しいんだけど、今後の時代を考えたらこういうマッチングも出来るし、結構望まれるんじゃないかなと思う。

具体的には、モバイルで
 1.宿泊を兼ねた協働作業スペースや泊まれるシェアハウスの可視化
(住人のニーズ/能力/興味分野も可視化)
2Socimobilerは能力/興味分野を登録し、泊まりたいエリアで検索
3.双方合意を取り、現地でチェック。この際付近にいるor泊まっている人も可視化
(能力や興味によってただで泊まれたり、何か協働プロジェクトを始めたり、イベントも可能)
 ※このサービスで出会ったorすれ違った人の動向はエリア検索時にモバイル上に表示される
 →もう一回会いに行くほどではないけど、面白いと感じた人と会うチャンスを逃さないために。
 みたいなサービスなのかなーと思いました。

数年後には創られてるかもしれないけど、今欲しいな。
 東京とか京都はそうなんだけど、香港とかシンガポール、バンコクとかにも広げられそうだし。ビエンチャンとかソウルに自分でシェアハウス作ってやるのもいい。この辺に個人通貨を絡めていけるともっと面白そうだな。

2011年7月13日水曜日

個人通貨創ってみたいなー


インフレーションをどうにか出来ないのかなーと最近よく考える。不況を引き起こすのもそうだし、その過程においても多くの人を苦しめるから。ラオス人なんて首都に住んでてても自分で米作ってる人いるし。まああれにはびっくりしたけど(笑)

インフレーションと政府

ただ財政、金融政策(政府と中央銀行)の結婚という弊害から、大部分の国では、インフレーションが起こらざるを得ない気がする。だってさ民主主義体制では、みんな自分の生活が良くなるために投票するんでしょ。それで当選した政府は、中央銀行に圧力と国債発行で支持してくれた人たちのところに貨幣を投入する傾向にある。これが教育や医療とかに雇用とイノベーションを引き起こすような形で落ちて、もの・金・人の流動性を確保出来ればまだいい。だけどこういう部門は大部分の人にとって痛みを引き起こし、短期的利益がほとんどない(いやだからイノベーション分野なんだよ。)ものだから反対が多いし、そもそもそこを支持する層は政府を当選させづらい。

まあ善意の独裁とかだと、ある程度公平になるとおもうんだけどね。(開発独裁の初期とか)

で、この恣意的な財政投入が既存分野に偏よると、それで市場が誤って反応し、実体経済を乖離して需要が全くないのに、インフレーションへの期待感が期待感をうむ。そして、極度のインフレーションに陥り、最後は長い不況に陥る。(ここまで僕の勝手な解釈)

個人通貨創ってみたいなー。

仮にそうだとして、じゃあインフレーションが起こらないようにするにはどうしたらいいのかって考えてみた。で着想段階なんだけどさ、もうそろそろ個人が通貨(通用性のある何か)を作ってもいいんじゃないかなと思う。

だってもう現存の国民通貨なんかより個人自体を信用してる人ってけっこういるんでしょ。あいつのためなら金は払うとか、無利子で貸すとかさ。これって国民通貨よりその人自体が価値あるってことでしょ。だったらその信用されている個人(自分のサービスとか情報がある)が1000ペリー(ペリーは任意)って紙幣をつくって円との交換比率を11(変動性で商品バスケット)にするって言ったら、その個人に保証された紙幣の方が欲しいんじゃない?それが助けにもなるし。 

こういうのの何が良いって、現存通貨じゃ評価出来ない分のサービスや情報(特にイノベーション分野)を信用という形で可視化出来てるのとインフレーションを起こしづらいってことかな。

例えば、信用(自分のサービスとか情報の強度)が増えれば流通量が増し、それにより信用が更に増えるので自分のやりたいイノベーションを自分の能力で回すことができるし、一方、個人通貨でインフレーションを起こす(過度に或いは適当に情報やサービスを提供し続ける)と、自分自身が信用不安を起こし、価値の低下と共に他の個人通貨との競争力が下がるって自分自身でわかってるから、結果安定して、保有者にとって安定資産になるし。

別にこれは国内だけで使う必要ないし、海外に面白い友達いれば、その友達と使用範囲広げてもいいと思う。世界の友達同士で使えるようになれば、ゆくゆくは外国為替の不安定さとかも関係なくなるしね。

いやー、こういう実験やってみたいね。例えば、100人くらいの友達の間でもいいんだけどさ。自分のモチベーションにもなるし。

まあ経済とかど素人なので穴だらけの妄想なんだけど、やってから得ることも多いので。

2011年7月12日火曜日

イベントに行って感じること。


最近、主催者と参加者のイベント目的の不一致ってよく起きるなーと感じる。こういう考えでこのイベントに来たのに実は全然違った-、みたいな。もちろん良い意味で期待を裏切られたっていうこともあるんだけど、たいていはその逆。

これってよく主催者側の情報の出し方の問題だと言われがちだけど、実は参加者側の問題が大きいと思う。確かに主催者の情報の出し方が不適切で、誤って認識してしまうということもあると思う。ただ情報なんてたいてい受けての認識の問題で、参加者が一度認識した情報を自分に都合の良く、勝手に脚色していることが問題だと思う。
 
例えば、ソーシャル○○ってイベント最近良く見かけるんだけど、この曖昧な言葉が参加者を混乱させるのは確かだと思う。ただ、そんな混乱は実は一瞬で削除され、勝手にこの言葉を自分流に解釈してしまうだろう。自分が聞きたい情報という形で。だからもちろん主催者との目的の不一致は起こるし、参加者同士の目的の不一致も起こる。(認識レベルが違うんだから)これほど双方にとって寂しいことってないよね。一生懸命準備してくれた主催者にも悪いし、自分自身にも悪いし。

もちろんこの不一致を完璧になくすことは不可能だと思うけど、溝を狭めることはできるとおもう。主催者側はtwitter等でアクティブな情報を流し続け、同時に参加者の嗜好性を把握する。参加者は逆のことをし、参加者同士ネット上で交流するなどは良い対策のように思える。余りに溝が深い場合はイベント構造自体考えてもいいと思う。
どれだけ人数増やしたなんてもう時代遅れだと思うけどね。全然薄い繋がりで終わっちゃうからさ。

ストロングリレーションとサービス

これから20年生きて行くためには心底話せる(ストロングリレーション)仲間を創ることが重要だと思う。on/offlineの緩い関係の人ともいいんだけど、結局最後に心の支えになってくれたり、化粧を落として呼吸をさせてくれるのはこの層なんだよな。

こういう仲間を創るためには、やっぱ濃密な場面を共有することが一番だと思う。例えば、一緒に旅行に行ったりとか、プロジェクトを一緒に創ったりとか、学び合ったりとか。(シェアハウスはこういう空間が訪れやすいのかな。)
ただ一つの場面だけじゃだめなんだよね。すぐ心のなかから無くなっちゃうから。それが断続的に続くと「心底話せる」ようになるんだと思う。こういう人達のことは信頼できる。
でもよく考えてみると、こういう機会って人生の中でなかなかないし、自分で創りだそうとしても難しいんだよな。濃密な場面は自分だけじゃ創り出せないし(相手の状況にもよる)相当コスト高いし。facebookとかtwitterはこの部分弱いんだよな。てかtwitterメディアだし。

だからこの数年はこういう関係を自然に創り、活用出来るようなサービスがどんどん創られるんだろうな。人びとはmobile化していってるっていうことも関連付けて考えると更に面白い。 (何か中国農民工の研究より面白そうだな笑)

2011年5月28日土曜日

中国国民主導政治改革への第一歩?―無所属候補者、人民代表大会へ立候補表明―

中国で驚くべきことが起こりつつある。

新浪微博(中国版twitter)上で今年9月中旬に行われる区・県レベルの人民代表大会選挙への立候補を宣言する人が増え続けて、盛り上がりを見せているのだ。


5月27日までに18人の無所属候補者が立候補している。



より大きな地図で Yao Bo 姚博/Wu Danhong 吴丹红/Xu Chunliu 徐春柳 を表示
確かに中国の憲法上、満18歳以上の国民が直轄でない市、県や区の直接選挙に立候補することは可能である。ただ共産党員以外が立候補することは稀であり、そもそも直接選挙のルール自体を知らず、政治的な報復からかあまり興味を示す人が少なかった。


30代以下の新しい世代が台頭

何故このような自体が起こっているのか。

1つには30代以下の新しい世代が台頭してきたことが挙げられる。

よく耳にし感じることなのだが、改革開放前後以後の世代と上の世代は明らかに違う。

彼らは若い頃からインターネットを駆使し、世界の情報を入手しているし政治的にも89年の天安門事件を直接経験していないので、比較的自由に物事を考えることが出来る。また政治的・社会的な問題にも関心が強い。特に80年代~90年代の若者はこの傾向が顕著にあり、個人的には、最早中国のエリートも日本のエリートもこれらの問題に対する考え方に大差はなく、むしろあちらのほうが良く考えているように感じる。(もちろん直接の政府批判はできないが)


 ※中国互联网络发展状况统计报告2011から抜粋


■新浪微博の影響力
またその彼らが価値観を表現できる場として、筆者は新浪微博の重要性を挙げたいと思う。新浪微博はすでに14000万人のユーザーを抱えており、多数のフォローを獲得している人はその発言により人びとに一定程度の影響力を行使できるだけではなく、支持も獲得することができる。やはり公の場では政治的(社会的はOK)な話はまだ躊躇されることが多い中国において、自分の価値観を再認識させることが出来る場所の存在は大きいと思う。また確かに天安門事件などNGワードを含む文章は削除されるが、政府批判にならなければ政治・社会改革などの話題も可能であり、比較的議論されつつある。

■立候補者
今回の立候補者18名中5人が20代(大学生3人含)であり、一番若い候補者は20歳である。政治的恐怖心は比較的薄いであろう。彼らがどういう議論をするのかは興味深い。(勢いで手を挙げてしまった感もあると思うが)また共産党員二人が立候補していることもポイントである。確実に党組織との対立が起き、どのような展開になるか予測不可能にも関わらず、立候補をしたということはそこまで政治的な空間が生まれたということなのか。今後の展開が気になる。ただ多くの人からの応援メッセージと共に、当局からの圧力もあるようだ。暴力事件も複数起こっており、家族や親戚と自分は一切関係ないと宣言する候補者もいる。

確かにこのまま議論が進んでいけば9月までに多くの人びとが立候補するだろうし、国民主導の政治改革への第一歩となるだろう。ただし共産党はそこまで急激な変化を望んでいないし、遅かれ早かれどこかで当局の介入が入る気がする。いずれにせよ今後の動向に注目である