2010年12月20日月曜日

国際シンポジウム「東アジアの激動から安定への可能性」


昨日1219日(日)法政大学大学院国際政治学専攻国際シンポジウム東アジアの激動から安定への可能性」に参加してきた。http://www.hosei.ac.jp/gs/cms/336/

日本を代表する国際政治・政治学者や中国・ロシア・韓国から招待した学者の方々を交えたセッションは知的好奇心を刺激する内容であった。

その中で特に印象に残ったのが、東アジアの大国である日中韓の領土・歴史問題における解決方法である。

カナダ・ウォール大学教授の原貴美恵さんによると(要約)
1.東アジアにおける冷戦構造は未だ形を変えて存在しており、それを解決するためには、特に日中韓領土・歴史問題の主要原因であるサンフランシスコ平和条約の再定義が必要
2.(勝敗が明白な)バイではなく、マルチの枠組みでお互いの譲歩を引き出し、安全保障の秩序形成が必要
3.具体的に言うと関係国+当事国で協議をするのが良い。(東アジアで国際機関は無理)例えば譲歩の連続(日本:竹島の譲歩/中国:尖閣の譲歩等々)による信頼醸成と秩序を形成が必要
とのことである。

確かにマルチの枠組みで東アジアの安全保障の再定義というのは中々興味深い。ただ、その枠組の前に
1.日中の秩序形成には、国民レベルでの信頼醸成が不可欠
2.東アジアでバランシングを行うアメリカとの関係再定義
などが必要であると個人的に考える。

更に国民レベルと言っても実際どの階級・階層にアプローチし、広げていくべきなのか、日中におけるあの怒れる国民とは誰なのか等の課題も残る。

個人的には、日中の若手研究者・ビジネスネットワークによるサンフランシスコと72年体制の再定義を行い、そこから次の10年においてのコミュニティを広げていきたいという想いがあるのだが、具体的なアクションを考える上で考えさせられるシンポジウムとなった。

(写真忘れ)

2010年12月16日木曜日

state of nature in Laos and new community


If the theory to state of nature follow the practice, what does it mean for us and what should we think about the nation-states in the present world.

The kinder and smiler Lao people I've met, The more confidence to the above I've got.

The fact that Laos do not completely define their culture and history that is usually created by the nation-state with artificial way may also be influenced.

With my strange sense to the state of nature that Hobbes has defined as the war of all against all the hypothesis that the definition of the nation-state himself create the leviathan in nature has come out.

Although German philosopher Feuerbach states that「※in practice theory of the origin precedes. It is however thought that once theory is in a position to increase himself practice may precede, It is time to think what the definition of state of nature is and why we really need the frame of nation-state.

The clue to new community which will come within next a few decades may find in Laos.

Japanese translation to English's

2010年12月15日水曜日

自然状態とアントニオ猪木


とある日、趣味の街歩きをしに両国へ出かけた。目的であった美味しいトンカツは食べられなかったが、東京江戸博物館等を散策し、気分良く帰るつもりだった。

ふと、思い出した。そういえば国技館を見ていないと。そこで国技館に行ってみるとイノキ・ボンバイエ猪木デビュー50周年の試合が行われていた。

別にこれといって観たいわけではなかったが、近くにいた若いお兄さん2人組がマス席(4人で3万円)のチケットを4000円で売ってくれるというので、何故か日本人的に買ってしまった。

ただ自分にとっては、プロレスよりも一緒に観戦したお兄さん達のほうが興味深かった。

川崎で働いている関西出身の方なのだが、ともかく全力で女性に対する欲望を顕にし、TPOを構わず、話しかけるのである。

思った。これがホッブスのいう自然状態なのか、と。

自然状態の定義は未来における共同体理論において重要であるので、それを再確認する上で大変有意義な出会いとなった。

ある学者が、「国家を超える共同体の必要性」を言及してから100年の月日が流れた。しかし、誰もその理論を構築出来ていない。確かに実践は理論に先行するのかもしれないが。。。

アントニオ猪木自身の試合は見られなかったが、自然状態について再考することができた1日となった。

極東アジア80年代生まれの重要性


とあるシンポジウムの縁から慶應SFCに留学中の復旦大学国際関係学修士の学生と先日お会いした。

日本で国際関係を学んでいるだけあって感情論に偏らずバランス感覚を持って話すことが出来る人であり、計画中の※極東アジアユースネットワーク(仮名)について意見が聞いてみたかったからだ。
※主に日中韓の20代前半の学部/学院生・若手研究者が集まり、極東アジアの政治・経済・歴史において、共同認識・ビジョンを描き、行動を起こすネットワーク。

彼女の意見は主に20代前半だけではビジョンはいいが力(勉強・実務)不足なので、社会に出て問題意識を持った30歳前後も加えるべきというものであった。

確かに20代前半だけで括る必要性も無いと思うと同時に
極東アジアにおける80年代生まれの重要性」という言葉が頭の中に降りてきた。

良く考えてみると80年代生まれは
・中国と韓国では初めて学生時代に言論の自由が享受できた
・アジアのグローバル化を知覚した(90年以降)
・極東政治システム(日中韓のバランス変化)と歴史に影響を受けた
世代であり、新たな日中韓関係の第一世代と言える。

60年代~70年代の正常化問題や極東アジアにおける日中韓関係の再定義において、次世代への影響を与える80年代生まれの重要性を再認識する一日となった。

2010年12月13日月曜日

第六回日米ユースフォーラム「東アジア~青年の考える未来と共生~」


12月7日米協会主催・日本外国特派員協会で行われた
第六回日米ユースフォーラム「東アジア~青年の考える未来と共生~」に参加してきた。

東アジアの共生がテーマということもあり日本・アメリカからだけではなく韓国・中国・シンガポールの学生も参加し、白熱した議論が行われた。

多彩な顔ぶれによる同地域への興味深い意見、ファシリテーションのうまさなど、予想以上に楽しむことができた。

特に中国・シンガポールの学生の思慮の深さには眼を見張るものがあった。



しかしながら、今後に期待を込めながら改善点を指摘したい。
以下の3点である。

1. インドネシア、タイからの招集。
アセアンは東アジアという概念・地政学的に、また政治・経済的にも非常に重要な地域なので少なくとも2大巨塔であるインドネシア・タイの青年も呼んで欲しかった。

2.学院生の起用
やはり学部生よりも頭の柔らかい学院生を多めに招集したほうが議論は活発になるのではないか。(交流の定義にもよるが)

3.テーマである東アジア~青年の考える未来と共生~について
1.2にも関連するが、
東アジアとは/重点分野はどこ/どのように共生を担っていくのか/というパネリストによる前提条件の欠如が最後まで影響し包括的な話し合いが出来なかった。(結局感情論になってしまう。)

一回のフォーラムにおいてここまで求めるのは無理があるが、
作業部会/共同レポートの事前配布等、ある程度まで合意にこぎつけてもいいと思う。

改善点は述べたものの全体を通してみると、このようなユースの活動は日本では中々見られない。これから益々各国ユース(特に日本)にとって重要になっていくものなので是非とも継続していって欲しい。

 

2010年3月21日日曜日

個人が社会を創る時代へ-個人共同体が世界を変える-

あまり、メコン地域と関係なのですが・・・

最初に書くと、
今後社会は世界の国々や企業より個人が創っていくということを書くつもり。

現状特に日本において議論が結局国家論の枠組み『近代国家の定義、各国領土の独立を保証し、内政に干渉してはならない』を引きずっていて(もちろんまだまだ必要な部分もあるが)、既にかなりの部分で機能不全を起こしているのに、そこから抜け出せていない気がするから。

せっかく次の時代が見えつつあるのに議論や思考の枠組を狭めているのはもったいないなーと思い、ちょっと自戒と内省も込めて、個人が社会を創る時代について考えてみました。(ちょっと妄想癖かな)

個人の時代

近年個人の力がますます強まっていると感じる。
1.発想が価値を生み出す時代
2.ニッチ・独創性へ評価
3.SNSやミニブログなど新たな個人ネットワーク
が出来るようになったから。

最早アルビン・トフラーの名前を挙げるまでもなく、知識経済において一人の人間の発想が時として何万人の労働よりも価値を生み出すということは周知の事実になっている。
それとともに画一的・効率的なものからニッチ・独創的なものへ評価が強まっている。実際面白いことを言ったり、やっていると重要視されることが多々ある。そんな中独創的な個人の情報・考え・行動を発信させることによりネットワークを築き、社会に影響を与え、収入を得つつあるし、TwitterFacebookや新たな技術革新によりその動きは更に加速化していると感じる。

新たな組織

個人が社会に影響を与える時代において組織は必要ないのか?というとそうではない。ただ緩やかな繋がりのようなものになるのではないか。新たな組織の特徴は以下の3点にあると思う。
1.時間・空間に縛られない体制
2.上下関係の無い体制
3.非経済的な時間・空間の提供
個人の時代において各々が自由な時間・空間の下で仕事をするので組織自体もそれに対応する必要があると思う。例えばスカイプや会議毎にコンセプトに合った空間を選ぶなど。
(これはすでに行われつつあるが、更に進むだろう。)また、自立した個人の集まり・ネットワークで創る組織である限り、いい意味での役職や年齢等に囚われないフラットな関係が必要である。そして一番重要なのは※非経済的な時間・空間を提供することだろう。
※非経済的な時間・空間
美術館に行ったり、文学に浸ったり、宗教について勉強したり、ただの飲み会などそのものだけで見ると経済的な価値を見出しにくい時間の使い方や空間

発想は非経済的な時間・空間の中で多く生み出されるのに、個人の時代においてそれが出来なくなるというジレンマに陥るから。(そういう意味でtwitterや位置情報サービスは理解できる。ただ、1.非経済的な時間・空間という概念 2.個人の時代を考慮するとそれらのニーズを補い、結びつけるようなサービスが今後伸びていく気がする。)

以上3点が新たな組織の骨格となるのではないか。

新たな社会・世界の形成へ

このように考えると、個人を結ぶゆるやかな組織(個人共同体)は、確実に増えていくと思う。またそれが増えることによって
1.組織同士の人材交換、
2.組織同士の協力関係
も更に増えることが想像できる。個人が価値を持っており、経済的価値観のみに価値を置かない世界だからである。そしてそれが様々な場所で融合しながら社会・世界を形成していく。既存のNGO・企業・国家が社会・世界を創るという概念から新たな個人共同体Personalized Community)が創るという概念へ

確かにこの社会の実現にはいくらかの時間がかかるとだろう。

ただし、もうそこまで来ている。


2010年3月12日金曜日

メコン地域における日中協力の有効性について

メコン地域における日中協力の有効性について
結論から言うと、有効であると思う。

例えばGMS(大メコン圏)経済協力において日中は協力すべきであると思う。
※アジア開発銀行(ADB)の提唱で92年から始まったメコン河流域
(ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナム・中国雲南省・広西チワン)
に対する経済協力プログラム。
GMS経済協力には主要プロジェクトとして3つの経済回廊がある。
(南北回廊「昆明-バンコク」・東西回廊「ダナン-モーラミャイン」
・南部回廊「ホーチミン-バンコク」)南北回廊は中国、東西・南部回廊は日本が中心となって進められ、同地域において日中の主導権争いが起こっている

確かに回廊ごとに目的が違うのはわかる。
ただ地域全体の産業体制を考慮した上
システムの統一化された経済回廊を日中で作っていった方が
地域にも日中にも利益になるのではないか。
現状3つの経済回廊の相乗効果は少ないように感じる。

2010年3月11日木曜日

雲南大学主催GMS(大メコン経済圏)開発に関する日中共同セミナーで感じたこと

先日雲南大学で開かれた『立命館大学・雲南大学共同セミナー・GMSの開発をめぐる日中関係』
に参加してきた。多くの学びがあった一方で恐縮ながら改善点も見えたので明記したい。

良かった点
1.日中トップレベルの研究者が一堂に会した点。
2.考え方の相違への気づきや情報交換できた点。

改善点
1.GMSと日中関係への言及が乏しく、あるとしても月並みなものであった点
2.閉じられた空間で教授陣のみの意見交換。
3.新しい独自の情報観点解決案の欠如、議論批判も乏しかった点。

多くのプレゼンが今まで議論されてきた基礎的な情報に終わっていた。確かに第一回目ということもあったかもしれない。ただそこに時間をさくのであれば、もっと同地域を勉強している学生や興味を示す一般人、他の専門家も呼びかけ、彼らと教授陣で討論できるような場所にするべきだと思う。

GMS開発は本当に多様な側面が影響しあう問題なので研究者だけが意見交換するよりも、多様な意見から知恵を搾り出す方が得策だと思う。

そんなことを感じた一日だった。


2010年2月26日金曜日

ステレオタイプが作るメコン地域

「ロンリープラネット※にベトナムで眼鏡掛けた人は信用するなと書いてあった。だから彼のこと信用できないわ」同じ都市に向かう私にゲストハウスの従業員が「彼についていけ」と言った際の一言。
 ※簡単に言うと地球の歩き方の世界版

ホントに書いてあったのかわからないけど、スレテオタイプって凄いなと改めて感じた。

同時にそういうことってこの地域で日常茶飯事に起こっていることだなと再認識したのでちょっと旅先や日本で聞いたメコン地域と関連する言葉を抜粋してみました。

フランス人学生24
ラオス1ヵ月・ベトナム3日滞在
「ラオスは雰囲気が良く、人も静かで優しい。ベトナムは空気が悪いしうるさいし、騙そうとしてくる。」

ニュージーランド人高校英語教師
カンボジア2週間ベトナム1週間滞在
「カンボジアで英語の教師をする。ベトナムはお金を稼ぐのにはいいが、生活するのはきつい。」

ラオス人東京在住30数年
「ラオス人はタイ人のことを好きじゃないし、向こうもそう。」

ベトナム人ダナン在住
中国に行った経験なし。
「余り中国のことは好きじゃない。紅河もメコン河も汚された。」

日本人学生23
メコン地域各国に数回滞在
「別にどの国も良い人・悪い人もいるし、いい面・悪い面もあるんだけどな」
「ラオス人iphonetwitter使いこなしてるんだ、意外」

イメージを現実化してしまう人間の脳みそ。

些細なようだけど、こういう一人一人の意見が世論を形成し、国益論に展開していくような気がしてならないしそれが結局地域全体としての発展を妨げる要因にもなると感じる。

確かにメコン地域研究者をつなぐM-powerhttp://www.mpowernet.org/mweb.php?pg=60
メコン地域メディアのメディアをつなぐMEKONGmediaforumhttp://mekongmediaforum.net/website/)等では活発な交流が行われつつある。

ただ、そういうグループだけではなく、今後はこういう人たちがお互いを理解するための
『場』を作らなきゃいけないんだろうな。

これすらステレオタイプかもしれないので、しっかりとした調査が必要だが・・


2010年2月25日木曜日

50歩100歩から150歩へ


「えっ、日本のことそんな風に見ているの?」
 twitter上での様々な情報・討論や旅先での出会いを通じて、最近思うことがある・・

「人は結局50歩・100歩。だからこそ150歩になる努力をしなきゃな」と。

思考は人それぞれ

最近SNS等の普及により、あらゆる情報がネットを通じて流れてくる。同時に個人の思考も簡単に認知できるようになり、またネット上で情報交換・討論できるようになった。

「あっ、あの人こんな風に思ってるんだ」「この意見どう思いますか」という風に。

そこで単純に再認識。皆色んなことを考えているんだなと。

その考えが更に色んな人の考えとブレンドされ、新たな思考を生み出しているように感じる。


旅先での出会い

一方で、メコン地域を旅行していると色んな面白い人に出会う。
変なおじさんから実業家まで。

彼らの思想は現地に順応されていたり、母国のものなので「おお、そんな風に考えているのか」と感じることが多々ある。

全く新たな視点なので、自分の考えをブラッシュアップするのにすごくためになる。

50100歩から150歩へ

情報のフラット化による人の思考の認知や現地での体験など色んなことを総合して改めて思うことがある。「人って50歩・100歩だな」と。

個人の思考ってそれぞれ独特なものがあるし、それは老若男女世界中の人が持っていて、どの考えも参考になる。

また例え何かを成し遂げた人だけが必ずしも良い思想を持っているわけではない。

だからこそ、色んな人のことを閉じないで吸収していかなきゃいけないんだろうな。

50歩・100歩から150歩へ

それでも50100歩なんだけど、それが200歩に繋がるかもしれないから・・


15歳、27歳、23歳

最近密かに思うことがある。自分は非常に良い世代に生まれてきたのではないかと。それは、リアルとネットを両方体感できた世代だからだ。

15歳女の子
日本にいる頃、15歳の女の子に話を聞いた時のことがとても印象的であった。彼女は前略・ホムペなどを駆使し、友達とコミュニケーションを取っており、今の流行はこのプログラミングされた声の歌手だとyoutubeを見ながら説明してくれた。ここまで進んでいると知らなかったので多少驚いたが、ネット社会を考えればと妙に納得できた。

27歳の男性
一方最近ハノイで会った27歳日本人バックパッカーの言葉も印象的だった。「ラオスで出会った19歳の子が明日出発なのにmixiで情報入手しようとしている。現地にいるんだから現地で情報を入手すれば良いのにやろうとしない現地情報が一番正しいのに」と。ネット化はいいが最近は行き過ぎ。
リアル社会が無くなるようで不安だと話す。

・・・
23歳の私には両方の価値観を理解できる。

大学に入ってから本格的にネットを使い始めた私はリアルとネット社会の微妙なバランス、その両方に長所と短所があることを感覚的に知っている。多くの人は一方の感覚が強く、世代間の拒絶反応も少なからずある。

自分が持っているこの感覚を活かし行動していけば世代を繋ぐ架け橋にもなれるし、世界を繋ぐ架け橋にもなれると感じた。


2010年2月16日火曜日

ヨーロッパ系バックパッカーがメコン地域に影響を及ぼす日

昨日Twitterにて、ヨーロッパ系バックパッカーについて
つぶやいたのですが、考えをブログにまとめてみました。

バックパッカーと雇用機会の関係性

「この先の仕事を得られるかわからない」
「とりあえず来年1年は教師の職を得た」
20~22歳のヨーロッパ系バックパッカーの言葉。
彼らの言葉だけが全てではない。
ただ近年のヨーロッパ経済には一抹の不安がよぎるし、
若者の雇用においては日本以上に厳しい。

さてここでふと疑問に思った。じゃー何故彼らはバックパッカーしているのか。
(ギャップイヤーを利用し勉強、労働、ボランティアすればいいのに)

それは、バックパッカーすることは主観的・客観的希少性※を含み、
それにより雇用機会を得られるという感覚を内在している
(or考えている人もいる)からではないか。

※造語。ここでは
主観的希少性:自国で得られない経験から生成される個人の変化・行動
客観的希少性(他者の評価):上記+自国で得られない経験そのもの
と定義。

2010年2月15日月曜日

○○主義の問題よりその国に合った市場経済が重要になるのではないか。


社会主義にも市場経済は存在しうる

メコン地域で活動をしているとふとこんな衝動に駆られる。「政治的な自由はあるに越したことはないのだが、経済的な面だけで見ると社会主義でも良いのではないか」と。以下の3点からである。
 1.市場経済導入により経済成長可能
2.急激な政治的変化における危険性
3.経済成長への責任
 ロシアの失敗や中国・ベトナムの成功は記憶に新しいし、一党独裁に対する正当性の軸がイデオロギー闘争から経済成長に移り指導層は資本主義国以上に経済的な結果が求められるようになった。

ただ、それでも資本主義優位論があるのは何故だろうと考えるとやはり人々の中に資本主義≒市場経済を体現できる唯一正しいものという冷戦終結時の固定観念がまだ残っているのかなと思う。

冷戦時には以下のような二項対立が起きた。資本主義≒市場経済VS社会主義≒計画経済
 1.2つの主義は各々経済とほぼ同義
2.市場経済と計画経済の優位性競争
というような対立である。

冷戦は西側陣営の勝利で終結し、人々は資本主義≒市場経済であり、資本主義だけが人々を豊かにするものだと考えるようになった。この際に資本主義は生活を豊かにするための補助であるのに、それ自体が目的と混合されてしまったのだ。

市場経済はひとつの生産様式(○○主義)ではなく、経済を組織する技術であり、資本主義だけに市場経済があるわけではないのだが、(現在証明されつつある)そういう考えがある程度残ったまま現在に至っているように感じる。

主義の時代の終焉~どのような市場経済を作るか

今まで述べてきたように今日では資本主義から市場経済が切り離されつつある。このことは市場経済の独立を意味している。
 そういう意味で主義の時代は終焉を迎えつつあるのかもしれない。
 市場経済はいたるところにあるのだから、主義の対立はますます薄れ、○○資本主義が良いという議論も)どれだけ各国が自国にマッチした市場経済を造れるかのほうが重要になるような気がする。