昨日Twitterにて、ヨーロッパ系バックパッカーについて
つぶやいたのですが、考えをブログにまとめてみました。
■バックパッカーと雇用機会の関係性
「この先の仕事を得られるかわからない」
「とりあえず来年1年は教師の職を得た」
20~22歳のヨーロッパ系バックパッカーの言葉。
彼らの言葉だけが全てではない。
ただ近年のヨーロッパ経済には一抹の不安がよぎるし、
若者の雇用においては日本以上に厳しい。
さてここでふと疑問に思った。じゃー何故彼らはバックパッカーしているのか。
(ギャップイヤーを利用し勉強、労働、ボランティアすればいいのに)
それは、バックパッカーすることは主観的・客観的希少性※を含み、
それにより雇用機会を得られるという感覚を内在している
(or考えている人もいる)からではないか。
※造語。ここでは
主観的希少性:自国で得られない経験から生成される個人の変化・行動
客観的希少性(他者の評価):上記+自国で得られない経験そのもの
と定義。
2010年2月16日火曜日
2010年2月15日月曜日
○○主義の問題よりその国に合った市場経済が重要になるのではないか。
社会主義にも市場経済は存在しうる
メコン地域で活動をしているとふとこんな衝動に駆られる。「政治的な自由はあるに越したことはないのだが、経済的な面だけで見ると社会主義でも良いのではないか」と。以下の3点からである。
2.急激な政治的変化における危険性
3.経済成長への責任
ただ、それでも資本主義優位論があるのは何故だろうと考えるとやはり人々の中に資本主義≒市場経済を体現できる唯一正しいものという冷戦終結時の固定観念がまだ残っているのかなと思う。
冷戦時には以下のような二項対立が起きた。資本主義≒市場経済VS社会主義≒計画経済
2.市場経済と計画経済の優位性競争
というような対立である。
冷戦は西側陣営の勝利で終結し、人々は資本主義≒市場経済であり、資本主義だけが人々を豊かにするものだと考えるようになった。この際に資本主義は生活を豊かにするための補助であるのに、それ自体が目的と混合されてしまったのだ。
市場経済はひとつの生産様式(○○主義)ではなく、経済を組織する技術であり、資本主義だけに市場経済があるわけではないのだが、(現在証明されつつある)そういう考えがある程度残ったまま現在に至っているように感じる。
主義の時代の終焉~どのような市場経済を作るか
今まで述べてきたように今日では資本主義から市場経済が切り離されつつある。このことは市場経済の独立を意味している。
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