2011年11月13日日曜日

ソーシャルメディアが世界の戦争をなくす日

 
placeboedge.tumblr.comから
ソーシャルメディアは私達を含め、世界の人々に繋がりという価値創造を提供したと思います。

それは、たとえ会ったことが無い人であっても、彼らがどのように物事を考え、何に苦しんでいるのかを知り、共感し、時には一緒に問題解決をしていくことを可能にしたと思います。

twitterやfacebook等は正にその一例です。

確かに、今は言語の壁もありまだまだ多くの人と繋がることが難しいのですが、近い将来、より的確な翻訳・通訳が可能になれば、そのような協働も増えていくでしょうし、いわゆるソーシャルグッド的な価値の創造も益々増えていくと思います。

ただ一つだけ、僕の中で疑問なのは、そのような動きはが人間の究極的な希求である世界の戦争を無くすことに貢献できるのかということです。

これに対する僕の答えはNoです。

僕は人々が繋がり、”善い人”が増えるから問題が無くなるとは思いません。

何故ならば、
1.人間の根本的な部分と認識されている自己利益(自己保存や生活の向上)
2.人々がそれぞれ本当に何を考えているのかわからないという疑念
3.国家という形で主権者・エージェンシーが生まれても、世界全体では困難
という状態は変わらず残り続ける(少なくとも現状に置いては)と感じるからです。
これが正しいかどうかではなく、社会の構成要素である ”人” がそういう風なものであると少なくとも大部分の人が認識していることが重要なのです。

例えばもしある人が
「人間はまず生きることのみを希求し、そして精神的にも肉体的にもより”他の人”より豊かな暮らしがしたいが、それは稀少性なものの奪い合いになるから、その欲のために他の人を陥れる人が”いるかも”しれない」と思うのであれば、実際その仮定が全て正しいかどうかは関係なく、そういう人がいようがいまいが、争いは起きるからです。

他の人が何を考えているのか何もわからない状況から、自分自身で敵を創りだし、突発的な事件がそれを増大させ争いに導くことは明らかです。

通常国家レベルにおいては、主権者によって守られた理に適った(正義)、それゆえに合理的である法によって抑えられていますが、国家間においては、構成要素を疑心暗鬼にさせる要因(言語・習慣・国民間感情)が多いため、主権者が選出されづらく、また囚人のジレンマではないですが、保証が無いような正義は誰のための正義にもならないのです。

国家を人為的人格とみるのであれば、その性格は国家間にも影響します。

しかし、今後
1.人間の根本的な部分と認識されている自己利益(自己保存や生活の向上)
2.人々がそれぞれ本当に何を考えているのかわからないという疑念
3.国家という形で主権者・エージェンシーが生まれても、世界全体では困難
のいずれかはソーシャルメディアの価値創造によって変えることが出来ると思うので、そういう意味で世界の戦争を無くすことも可能だと感じています。

具体的には
1.人間の本能と認識されている自己保存を可能にするようなもの
2.人々の深部の思考パターンまで読み解くようなもの
3.ソーシャルメディア自体がある種の主権者になること
4.人々の中で認識されている ”人” の再設定(自己保存では無い何か)
の4パターンが僕の頭の中で挙げられます。

近未来的には、
人口8億人を超えるFacebookが、ソーシャルメディア民に彼らの理に適った、それゆえに合理的な法を守る主権者の役割(ペンと暴力機関をどのように創るかは興味深いが)をとる可能性はあると思います。

また個人的には、
変わりゆく人々の感覚の中で認識されている”人” の再設定(自己保存を超えた形)にその可能性を感じます。

どちらにしろここまで来れば、確かに戦争は無くなるかもしれないなと思います。

※実は5.人工知能による根本的な構造変化もあるんですが
The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biologyとか人類がコンピューターに支配される日・・・技術特異点かな)そういうことを考えるとある意味ソーシャルメディアが世界の戦争を無くす日には人は人では無くなっているのかもしれないですね。