2010年12月16日木曜日

state of nature in Laos and new community


If the theory to state of nature follow the practice, what does it mean for us and what should we think about the nation-states in the present world.

The kinder and smiler Lao people I've met, The more confidence to the above I've got.

The fact that Laos do not completely define their culture and history that is usually created by the nation-state with artificial way may also be influenced.

With my strange sense to the state of nature that Hobbes has defined as the war of all against all the hypothesis that the definition of the nation-state himself create the leviathan in nature has come out.

Although German philosopher Feuerbach states that「※in practice theory of the origin precedes. It is however thought that once theory is in a position to increase himself practice may precede, It is time to think what the definition of state of nature is and why we really need the frame of nation-state.

The clue to new community which will come within next a few decades may find in Laos.

Japanese translation to English's

2010年12月15日水曜日

自然状態とアントニオ猪木


とある日、趣味の街歩きをしに両国へ出かけた。目的であった美味しいトンカツは食べられなかったが、東京江戸博物館等を散策し、気分良く帰るつもりだった。

ふと、思い出した。そういえば国技館を見ていないと。そこで国技館に行ってみるとイノキ・ボンバイエ猪木デビュー50周年の試合が行われていた。

別にこれといって観たいわけではなかったが、近くにいた若いお兄さん2人組がマス席(4人で3万円)のチケットを4000円で売ってくれるというので、何故か日本人的に買ってしまった。

ただ自分にとっては、プロレスよりも一緒に観戦したお兄さん達のほうが興味深かった。

川崎で働いている関西出身の方なのだが、ともかく全力で女性に対する欲望を顕にし、TPOを構わず、話しかけるのである。

思った。これがホッブスのいう自然状態なのか、と。

自然状態の定義は未来における共同体理論において重要であるので、それを再確認する上で大変有意義な出会いとなった。

ある学者が、「国家を超える共同体の必要性」を言及してから100年の月日が流れた。しかし、誰もその理論を構築出来ていない。確かに実践は理論に先行するのかもしれないが。。。

アントニオ猪木自身の試合は見られなかったが、自然状態について再考することができた1日となった。

極東アジア80年代生まれの重要性


とあるシンポジウムの縁から慶應SFCに留学中の復旦大学国際関係学修士の学生と先日お会いした。

日本で国際関係を学んでいるだけあって感情論に偏らずバランス感覚を持って話すことが出来る人であり、計画中の※極東アジアユースネットワーク(仮名)について意見が聞いてみたかったからだ。
※主に日中韓の20代前半の学部/学院生・若手研究者が集まり、極東アジアの政治・経済・歴史において、共同認識・ビジョンを描き、行動を起こすネットワーク。

彼女の意見は主に20代前半だけではビジョンはいいが力(勉強・実務)不足なので、社会に出て問題意識を持った30歳前後も加えるべきというものであった。

確かに20代前半だけで括る必要性も無いと思うと同時に
極東アジアにおける80年代生まれの重要性」という言葉が頭の中に降りてきた。

良く考えてみると80年代生まれは
・中国と韓国では初めて学生時代に言論の自由が享受できた
・アジアのグローバル化を知覚した(90年以降)
・極東政治システム(日中韓のバランス変化)と歴史に影響を受けた
世代であり、新たな日中韓関係の第一世代と言える。

60年代~70年代の正常化問題や極東アジアにおける日中韓関係の再定義において、次世代への影響を与える80年代生まれの重要性を再認識する一日となった。

2010年12月13日月曜日

第六回日米ユースフォーラム「東アジア~青年の考える未来と共生~」


12月7日米協会主催・日本外国特派員協会で行われた
第六回日米ユースフォーラム「東アジア~青年の考える未来と共生~」に参加してきた。

東アジアの共生がテーマということもあり日本・アメリカからだけではなく韓国・中国・シンガポールの学生も参加し、白熱した議論が行われた。

多彩な顔ぶれによる同地域への興味深い意見、ファシリテーションのうまさなど、予想以上に楽しむことができた。

特に中国・シンガポールの学生の思慮の深さには眼を見張るものがあった。



しかしながら、今後に期待を込めながら改善点を指摘したい。
以下の3点である。

1. インドネシア、タイからの招集。
アセアンは東アジアという概念・地政学的に、また政治・経済的にも非常に重要な地域なので少なくとも2大巨塔であるインドネシア・タイの青年も呼んで欲しかった。

2.学院生の起用
やはり学部生よりも頭の柔らかい学院生を多めに招集したほうが議論は活発になるのではないか。(交流の定義にもよるが)

3.テーマである東アジア~青年の考える未来と共生~について
1.2にも関連するが、
東アジアとは/重点分野はどこ/どのように共生を担っていくのか/というパネリストによる前提条件の欠如が最後まで影響し包括的な話し合いが出来なかった。(結局感情論になってしまう。)

一回のフォーラムにおいてここまで求めるのは無理があるが、
作業部会/共同レポートの事前配布等、ある程度まで合意にこぎつけてもいいと思う。

改善点は述べたものの全体を通してみると、このようなユースの活動は日本では中々見られない。これから益々各国ユース(特に日本)にとって重要になっていくものなので是非とも継続していって欲しい。