昨日Twitterにて、ヨーロッパ系バックパッカーについて
つぶやいたのですが、考えをブログにまとめてみました。
■バックパッカーと雇用機会の関係性
「この先の仕事を得られるかわからない」
「とりあえず来年1年は教師の職を得た」
20~22歳のヨーロッパ系バックパッカーの言葉。
彼らの言葉だけが全てではない。
ただ近年のヨーロッパ経済には一抹の不安がよぎるし、
若者の雇用においては日本以上に厳しい。
さてここでふと疑問に思った。じゃー何故彼らはバックパッカーしているのか。
(ギャップイヤーを利用し勉強、労働、ボランティアすればいいのに)
それは、バックパッカーすることは主観的・客観的希少性※を含み、
それにより雇用機会を得られるという感覚を内在している
(or考えている人もいる)からではないか。
※造語。ここでは
主観的希少性:自国で得られない経験から生成される個人の変化・行動
客観的希少性(他者の評価):上記+自国で得られない経験そのもの
と定義。
確かに今までは上述した二つの希少性により
(客観的希少性が主観的希少性を生成することもあり)
多くの批判と共にそれなりの雇用機会を得られていたと思う。
しかし、それはもう過去の遺産になりつつあるのではないか。
1.グローバル化によるバックパッカーの急増
2.インターネット、SNSによる情報取得・感動の減少
3.EU圏の不況(産業構造の偏りと自由主義貿易のアンバランス)
1.2により主観的、特に客観的希少性は減少し、
3.により雇用機会が失われるというダブルパンチ状態が続く。
過去:バックパッカー=希少性多=雇用機会
現在~今後:バックパッカー=希少性少≠雇用機会
著名なバックパッカーたちは今有名なのである。
※日本では客観的希少性があるので、
うまく主観的希少性を確保できれば、
今でも雇用機会はある。
■主観的希少性への模索
主観的希少性のウエイトが増えてきた現在、
そのために行動している人もいる。
1.現地人との交流
2.ホームステイ
(コーチサーフィン(http://www.couchsurfing.org/)等の利用)
しかし言語の問題でうまく行かないことが多い。
なぜなら現地の言葉・文化を理解してこそ
本当の対話が生まれ、深い主観的希少性を得られやすいからだ。
だからといって彼らに語学学校に行く時間もお金もあるわけではなく、
ヨーロッパ大陸以外(特にアジアの言葉)は習得しづらい事実もある。
また上述したように近年のバックパッカーの急増・SNSの発展により、
益々現地にいながらヨーロッパを擬似体験でき、
居心地のいい空間を作れるようになってきている。
主観的希少性の獲得はこれから更に難しくなるのではないか。
■メコン地域とヨーロッパ系バックパッカー
近年メコン地域においてもバックパッカーの数は急増している。
それに伴い、希少性を確保する事が難しくなりつつある。
一方、地域(国家~市民レベル)としても彼らというリソースを
活かしきれないでいる。
・ヨーロッパ系バックパッカー:希少性の確保
(現地での仕事や地域での活動、言語・文化・宿)
・メコン地域:バックパッカーとの協働
(対話の場・学び・異文化交流・仕事・議論)
お互いがwin-winになる道はおぼろげながら見える。
可能性は限りなく広がり続ける。
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