2011年9月2日金曜日

中国で1ヶ月半Jiepang(街旁)を使って感じたこと

中国の旅行した先々で面白い人に会いたいという動機でJiepang(街旁)を使い始めた。
ちなみにJiepangは中国で使用できないFoursuareの類似サービス。


僕はこのJiepangを使って位置情報でその場にいる中国の面白い人に出会えたら嬉しいなと思い、中国の内陸部を旅行している間、使い続けてきた。

僕のページ
結論:全く出会えなかった。いくつか要因はあると思うが3点にまとめると

1.      そもそもこれはFoursuareと同じで旅行や美味しい物の写真を共有するリア充用のサービス

2.      一応ユーザー数130万人を越えているとされているが、内陸部ではアクティブで使っている人は
い(そもそも携帯買えても3Gモバイルネットワークの月額料金払えないでしょ)

3.      中国では、面白い人に会いに行くなどの動きがまだ殆ど出てきていない

わかっていたことだが、これは「美しい記憶」を共有するサービスであり、近くにいる興味分野の人を
探すために出来ているわけではない。また内陸部ではアクティブユーザーが少なく、また人は疑えか
ら始まる文化がまだまだ残っているので、難しい。


一応、付近のJiepang友を2000mまで調べる機能はあり沿岸部ではユーザー数や文化の関係でいけ
るかもしれないので上海では、継続的に使ってみよう。
昆明のホステル2000m範囲に友達いないとのこと
ただ、結局趣旨が違うサービスではベネフィットよりコストの方が多いな。あー、何か興味分野で出
会えるサービス中国で早く出来ないかな。

2011年9月1日木曜日

中国、Facebookにとって一番必要な国



Illustration By Alex Gross
海外で外国人と知り合いになるとき、とりあえずFacebookで友だち申請、というような体験をしたことはないだろうか。実はここ中国でもよくFacebookアカウント名を聞かれる。確かに政府の規制は入っているのだが、VPNを使用しFacebookを使用する人は、確実に増えているように感じる。(現在は主に外国人であり、中国人使用者は海外在住歴のある若者が多い1


現状中国国内におけるFacebookユーザーは数十万人程度、主に沿岸部に集中していると言われているが、今後Wi-Fi、モバイル3Gネットワークの普及・高速化とVPNの更なる安定に伴い、中国におけるFacebookを使用したインタラクションは更に進むだろう。

Facebookがその規模感から「国家」と比喩されて久しいが、僕は中国においてこのインタラクションが一定数に達する時、このアメリカの一企業が彼自身好むかは別として、人々の「facebook(をする)」自由を守るため、国家化せざるを得なくなるだろうと思う。2

彼は、自身の価値でもあるユーザーの「facebook(をする)」自由を守るために、自国政府でさえ戦うことが出来ない中国と対峙しなければならないが、そのことが国家に必要な共通の価値観を醸成するだろうから。

中国がFacebookを国家に

Facebookは現在、人々にFacebookという名の自由な活動の場を提供している。人々はクリックひとつでこの中にいる知り合いや興味を共にする人との交流や、サービスを提供したり受け取ったりすることができる。このFacebookは、別の場(SNS等)へ舗装された道路も張り巡らせており、人々はFacebookを拠点として自由にその道を行き来きしている。

このようなインタラクションは、現在においてもネットとリアル社会の境界を徐々に溶解させているのだが、今後のモバイルの進化、仮想通貨(Facebook credits)の使用、新しい技術(顔特定や、タッチング、位置情報)は、Facebookを実生活で当たり前のものへと導くだろう。

近い将来、人々はまるで息を吸うかのように「facebook(をする)」かもしれない。またそのような中で、独自の価値観を醸成していくだろう。

ただし、それは、彼自身の価値がユーザーの「facebook(をする)」自由の保障に規定されることを意味する。

この意味において中国はFacebookを国家にするかもしれない。何故ならば、

1. 中国国内でインタラクションが加速する中で、ユーザーの自由な発言や行動に対する規制や不当な処罰があったら、他のユーザーがFacebookに中立以上の動きをすることを強いるだろうし、それが彼自身の価値であるとFacebookも自覚している。3

2. アメリカでさえ戦うことが出来ない国とユーザーの自由をかけて対峙することは、(彼が意図しようが、或いはFacebook民に煽られようが)人々の共通の価値観を更に醸成させ、彼がその価値観を彼らのために守っているかのように錯覚させる。4

3. 現状、彼は現実の暴力装置を持たないが、人々の共通価値認識から来る支持を獲得することが出来る。それは、時に暴力装置以上の力を発揮する。

ザッカーバーグが何を考えているかは誰にもわからないが、もしFacebookが国家化(価値観の共有)を求めているのならば、彼にとって一番必要なのは中国だろう。

※1中国関係の外国人はFacebookより人人网やQQを使う人も多いが、それ以外の海外と繋がりたい人のFacebookニーズは強いだろう。
※2.この意味においてFacebookを国家化させるのは何も中国国内の「中国人」というわけではない。
※3. 自由を守らなければ、彼はインタラクションという形の税金を失うだろう。2008年中国でFacebookがシャットダウンされた時点では、ここまでインタラクションは進んでいなかったが、中東におけるFacebook革命は、彼のこのような状態を表しているように思える。
※4.彼がアメリカの企業であることを考えると興味深い。


写真:What Social Media says about Chinese Cultureから引用
<http://rw-3.com/tag/facebook-in-china/

2011年8月6日土曜日

可視化社会で、サンドバックにならないためには


最近、出現しつつある可視化社会の中で、コツコツ活きていくことって難しいなと思う。色んな人の行動・思考・情報やサービスが視えるようになってきて、同時に自分自身が視えなくなってきてるから。だからこそ重要でもあるんだけどさ。

特にこの数ヵ月、次から次へと押し寄せる情報の波に自分の信念がたえず不安定化しているような気がする。ボクサーに殴られているサンドバックのような状態。

実際に知人・友人がいろんなことを実現しつつあるのを観て、もちろん嬉しいんだけど、ちょっと焦りも感じる。そしてそのたび心の砂がゆらゆらと揺れ始める。

僕の場合、東京でこの状態が特に顕著になる。外から支えてくれるものを認識しづらかったり、同質性の強要を感じるからかな。

この見えない足音には、たまに嫌気がさすのだが、対応せざるを得ない。

「発展」という美酒は、好みに関わらず、人を演技の舞台へ押し上げる。その緊張と快感の輪廻転生を止めることなど不可能に近い。滴の不足が争いを導くという無意識の刷り込みは更なる潤いを希求する。

今後、このような可視化社会の「発展」の中で、独自の信念とそれへの支持を持たない人は活きていくことが難しくなるだろう。(僕は、人生にリミットをあまり感じてないので若干楽だが)両方を持つ人の影響から逃れるすべが無く、常にフックをくらったような状態になってしまうから。

ではどちらを強化していくかは、ニワトリとたまごの議論になってしまうので、なんとも言えないが、
どちらが強化しやすいかは、独自の信念だと思う。何らかの支持を得ようと考えても、何からはじめていいかわからず、結局迷子になってしまうことが多い。

この独自の信念は、自身の知識(情報・経験・環境・習慣・能力等)から出された決断(最良だという認識の有無に関わらず)を毎日コツコツ実行し、知識がアップデートされることにより強化される。

その「巡礼」ともいうべき巡りゆく行為が、自分自身を信じるにたるものと認識させる。それはまた、無数の支持という形でおもてに現れるだろうし、それがまた新たに信念を強化する。

逆説的ではあるが、加速度的な時代だからこそ一層の蓄積が要求される。この意味で自分が信じたことをコツコツやることが一番の近道となるだろう。


引用元:自分の文章。ただ今の「自分」には書けない文章。